人間関係に疲れ切っている人へ〜悩みと真正面から向き合うのがすべてではない【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵
この人はとても疲れている───そう感じたとき、わたしは相手の顔を見ない。相手が見ているほうをわたしも見ながら「飲み物いれますね。コーヒーかお茶か、どうなさいます?」。それだけ言って、あとは黙って温かい飲み物を器に注ぐ。そのあいだに相手は気持ちが落ち着いて、なにを話そうかと考えをまとめるのである。
自分を直視する。相手を直視する。たしかに、そういう態度が必要とされる場面がある。しかし、それはさしあたり今すぐ必要なことではない。あなたは疲れて教会にやってきた。だから今は誰の顔色もうかがわなくてもよい。営業をかけにきたわけでもないのだから、誰とも苦労してアイコンタクトをする必要もない。うまく話せないなら、あるいは話すことが思いつかないなら、あなたはただ黙って教会のベンチに座り、ぼんやりと正面の十字架を見つめていればいい。わたしもその横に座って、やはりあなたと同じようにぼんやりと座り、コーヒーを啜るのだ。そういう曖昧な時間の流れのなかで、どちらからともなく、最初の一言が発せられるのである。
「いやあ、たいへんですね」
ぐるぐる巡る自分自身から、たまには目をそらしたい。悩みと真正面から向きあうことだけが、悩みと向きあう方法のすべてではない。誰かと、職場でも家でもないところで、ほんの少し、のんびりと立ち止まる。そういう時間は大切だと思う。
文:沼田和也